ー お二人の印象や思い出を伺いたいと思います。まず初めに、西川さんの印象どうでしたか?
事務所の偉い人のイメージがあって、直接関わることはあまりなかったのですが、印象に残る瞬間がありました。僕が夜勤中に子どもが生まれまして、夜勤なので抜けることが難しいことは分かってはいたんですが・・・ちょうどその日、当直に入っていた西川さんから言われた言葉が心に残っています。
『出産っていうのは、これから先あるか分からないよ。この1回かもしれないから、行っておいで』
行ってきていいよってね。
西川さんが『いいよいいよ、俺が責任とるから』と言ってくださって。
その時西川さんと初めて接点を持って、この人すごいなって尊敬した瞬間でした。
いえるような人間になりたいと思ったのと、この瞬間にこの人についていきたいなと思いました。
ー 西川さんがそういう言葉をかけられたのって、自身もそういう経験があったからでしょうか?
これは中村君にしか行けないことだって思っただけかな。
夜勤は代わってあげることができるから。
業務中に抜けることはよくないことだけど、それを超える何かだなと判断した。
僕が事務長の1つ下にいて、責任を取ってあげられると思ったからかな。
僕もダメだと思っていたから、実質2時間くらいで戻ってきたんですが、西川さんという人がとても印象に残った出来事でした。
ー たったの2時間とはいえ、西川さんが2時間介助していたことが、中村さんに与えた影響ってすごく大きいですよね。
ー 続いて、中村さんへの印象はどうでしたか?
毎年3回は全職員と面談をしていたけど、中村くんとはそれ以外でもよく話していた人ではあるかな、色々なことを考えていた人だったから。
介護だけではなく、違う社会や世界のことをやりたいという希望(想い)がずっとあって。
ー ミュージシャンの活動もされていますよね。
僕はその話にいいよって乗っかっていたから。
ただ、介護の仕事も続けてほしいなって話をお互いによくしていたかな。
施設ではよく歌を歌ってくれていたけど、介護だけではない想いを話してくれて、こんなに自分から何かを生み出す人っているんだなというのが彼の印象だったね。
ー なぜ、中村さんはかわぐち翔裕園(以下、かわぐち)からのしょうぶ翔裕園(以下、しょうぶ)と続けての異動だったのでしょうか。
かわぐち、しょうぶだけではなく、蓮田ナーシングホーム翔裕園(以下、蓮田)内でも異動ばっかりでしたね。
蓮田での異動はこのキャラクターだから、色々なフロアで求められてたからだね。
『こっちのフロアでこういうところが良くないからきてくれない?』
みたいなことを順番にやってくれていたかな。
最初にデイケアに来てもらったときはキャラクターとして合っているし、デイをもっと盛り上げてくれない?みたいな。
ー 課題解決ですね。
ここにいてもらっている理由は、マネジメントというよりは、責任者の下で支えてくれないか?って現場のスペシャリストの立ち位置をお願いしている。今はまだそうして現場から複数の人を支えてもらうことで中村君の良さが引き立つと思って。本当はマネジメントの素質もあるんだけどね。
そうして複数の人をあげてもらえると効率がいいと思ってリーダーにしていないんだよね。
本当はリーダーとか主任とかやれるんだけれど。
ー それってすごく難しいことですよね。
これができたらすごいなって思いながらお願いしている(笑)
リーダーからすると、アドバイスをもらえるメンバーがいるということで安心できるから。
ー 続いて、中村さんへのかわぐち、しょうぶへの異動は西川さんから?
かわぐちへの異動は西川さんからでしたね。
本当に人が必要な時期があって、ただのマンパワーでは足りないと。
自分が頼りになると思える人じゃないと頼めなかったから。
僕自身、ユニット型の施設に興味があったので、断る理由はなかったですね。
ー ユニット型施設はやはり従来型施設との違いはありましたか?
違いましたね。今働いているしょうぶは、かわぐちでの影響をすごく受けていますし。
僕はご利用者と何かを作りあげたり、関わることが好きだったので、それを活かせるのは間違いなく特別養護老人ホームだと、かわぐちに行ってすぐに感じたことでした。
なので、かわぐちで勤務して9か月経った時に西川さんから戻ってこないかと言われたんですけど、僕はかわぐちで続けたいとお願いしました(笑)
ユニット型がやはり自分の中で合っていると思ったし、一緒に働いていた仲間との価値観もあっていてここで働いていれば良い環境を創っていけると思ったので、西川さんに伝えました。
希望を通してあげたかったけど、やっぱり蓮田に必要だと思った。
マンパワーではなく、解決すべき課題があったから。
フロアの職員がいつまでもバタバタしていたのと、明るさが足りなかった。
それで蓮田に戻したんだね。
西川さんが僕に課題をお願いするときは、『こういう中村を見てみたい』といわれるんですよね。
だから、僕がブレなかったのはその課題が明確で、目標が持てたからだと思います。
かわぐちから蓮田に戻るときも、現場がこういう状況だから、まとまりを持たせてほしい。
という課題を与えられていたから、僕はそこに集中すればいいんだと。
ー ビフォーアフターというか、こういう状態にしてほしいというのが西川さんにはあって、それを中村さんに共有してという感じなんですね。
プライベートな部分も含めて、二人の人間関係、絆が強いんだなと感じますね。
僕の中では出産の話があってから、この人しかいないなと思っていますね。話していても面白いんですよ。
西川さんから言われたことを粛々とこなそうって、その先に何かがある気がして。
なのでお話しを受けたことは断らずにやろうって思っています。
この先もここだけじゃなくて、大きな、例えばグループの中で新しいステージに行くころかなと思っているし。そういう場所を作りたいと思っている。
もう少し可能性を広くもつなら幅広い施設をみてほしい。
その経緯でしょうぶにいますからね。
介護って虐待であったりネガティブに捉えるニュースは多くあるけど、ポジティブな介護が発信されることは少ない気がして。
そこで介護の魅力を自身の音楽経験と合わせて、メディアで発信していけるような人間になりたい。
自分をみて『介護をやりたい』『翔裕園に入りたい』と思ってくれる人が過去にいたので、自分にもしその力があるなら、色々な人と関わる中で介護の魅力を発信して、この仕事に就いてくれる人を増やす。そういう人間になりたいですね。
なんでもできるなと思うよね。
でも現場にいて新卒の子と話しているのを見ていると捨てがたい(笑)
後輩を上手に育てることができる人って少ないから、中村くん一人いるだけで何十人分の働きができるんだろうと思うと、なかなか現場から外せない(笑)
ー 中村さんが中村さんの分身を作っていくような取り組みも必要ですね。
蓮田にいた頃ずっと言われていましたね、自分の後任を創るということを。
なかなか難しいけどね。
人生での経験とかもそうですし、全く同じ人を創るのは難しいと思います。
それと近しい考えを持っていたりとか、行動が似ていたりとか、そういう人はたまに出会うときがあって。
蓮田にも一人いましたが、そういう人をみつけたらよくご飯を食べに行ったりはしていましたね。
こういう人になってほしいとか、自分のビジョンを伝えたりとか。
蓮田からしょうぶに来るときも、もう長くはいないから、後を任せるというか、こういう風に新人を育ててほしい、指導して欲しいというのは、その人に伝えましたね。
ー なかなかできないことですよね、ビジョンを語るというのは。
僕が指導する側になったときに、全員にいいました。
僕がどういう介護を主として働きたいのか、どうなっていきたいのか。ただ業務をこなすだけではなく、自分のやりたいことを明確にしたほうがいいですよって、自分を伸ばしたいと思うなら。
よく相談がきていたんですけど、まず目標を3つたてて、その目標を達成するための目標をたてると。
例えば音楽活動もそうですけど、目標に辿り着くまでのプロセスを僕はすごく考えるほうなんです。
それをしながら目標を達成してきたので、それを乗り越える体験をみんなにも味わってほしい。
なので、熱をいれて話していましたね。面談の時に。
ー 西川さんと共通していますね、ビジョンマネジメントというか。意図せずかもしれませんが、その想いが西川さんから中村さんに受け継がれ、そこからさらに後輩に受け継がれていく・・・
お互いの信頼関係と絆を強く感じるお話しでした。ありがとうございました。